ANA国内線【PR】
このブログの更新は2008年末で終わりました。
by tako0
2008年 12月 28日 | |
「takoの雑記帳」は2008年10月3日で更新を終わりました。
長い間、読んで下さって有難うございました。


「takoの雑記帳」は「takoのホームページにようこそ!」の「介護の部屋」に転記しました。

長い間支えてくださって有り難うございました。
心から、お礼申しあげます。
# by tako0 | 2008-12-28 17:36 |
2008年 10月 03日 | |
これまで何度も書いてきたようにhakoさんを家で介護するのに、外部の人にいっぱい助けてもらった。
一人の人の生を支える為に、こんなに大勢の人のお世話になったと思うと、社会の力が勿体無くて有難かった。


外部の人だけでなく、今まであまり書かなかったけど、身内の人たち(オットさんの妹弟・即ち、hakoさんの子供たちや親戚の人)にもいっぱい助けてもらった。

「hakoさん、4人も子供がいていいね~」と言うと、決まって、
「いいよ。 あんたは1人しかいなくて残念ね~」って、ニコニコ笑ってた。

hakoさんを最後まで支えて下さった皆さんに、心から感謝です。



そして、最後になりましたが、「雑記帳」でお知り合いになった皆様。
お顔を存じ上げない方々がほとんどなのに、
つらい時は励ましてくださり、
おかしい時は一緒に笑ってくださり、
困ったときは知恵を貸してくださって、
本当に有難うございました。

2001年にhakoさんんが倒れてから、8年弱。

いっぱいこぼして・・
何回もギブアップしそうになって・・・
愚痴の多い勝手気ままな「雑記帳」にお付き合いくださって、いっぱいの感謝です!


そんな思い出イッパイの「雑記帳」ですが、
主人公が亡くなったので、
「takoの雑記帳」はこれで閉じることにしました。

長い間、有難うございました。心からお礼申しあげます。


気持ちを切り替えて、新しく 「my* photo blog」 を開きました。
お時間のある時にのぞいて下さって、今までと同様にお付き合い下さればうれしいです。

http://takopb.exblog.jp/

2008年 09月 15日 | |
14日に、四十九日の法要をして納骨を済ませた。

我が家の住職さんはそれぞれの家を廻ってお経をあげてくださることはされないので、
お寺で法要をあげていただく。
広い堂内の立派な祭壇の前で、静かにお経を聞き、ご法話をお聞きすると、
普段の生活から解き放たれて身も心も清められる思いがする。

住職さんがお経の後の法話で四十九日のことについて話して下さった。

四十九日というのは亡くなった方が、7日ごとに7つの駅に停まりながら7*7=49日の旅を終えて、いよいよ仏の世界に入られる大事な日ですというお話をして下さった。

仏事は私達の生活に深く関わっているのに、最近はその由来を聞くことは殆どなくなった。
こんな時にこんな風に話していただくと、しかつめらしく思っていた宗教が、「そういうことなのか」って身近に感じられた。

早朝、パラリと清めの雨があったけど、日中は青空で風もなく、無事に納骨を済ませた。



家に戻ってオットさんと茶の間でお茶をした。

茶の間にはhakoさんがデイで書いてきたお習字がいっぱいに貼ってある。

オットさんが、「そろそろはずそう」って、ポツリと言った。
私は「四十九日が済んだからね」って言って、二人で外した。

「今まで、はずすのが淋しくて忍びなかったけど、はずしてよかった。気持ちがさっぱりした」って、オットさんが言った。

片付ける時は思い出が先立ってつらいけど、
一つ一つ片付けていると、不思議なことに気持ちが少しずつ落ち着いてくる。

介護していたときのつらかったことさえも、ふっと気付くとだんだん実感が薄れてきている。


ご住職さんは亡くなった人が四十九日かけて、極楽浄土に入る話して下さったけど、
実はそれは、遺された者が、気持ちを一区切りする時でもあるんだな~って思った。


四十九日を無事に終えて、肩の荷が降りて、久しぶりにぐっすり眠れた。


2008年 09月 10日 | |
車椅子のまま乗れる軽自動車、○ンダ・ライフをオットさんは買い換えることにした。
この車に車椅子に乗ったhakoさんを乗せて、いろんなところに出かけた。

桜の咲くとき、緑が溢れる時、紅葉で赤い紅葉のトンネルが出来る時・・・
季節季節に、車椅子のhakoさんを乗せて、池の畔を散歩した。
おにぎりを食べたりお団子を食べたり・・・
池の畔で食べると格別に美味しくて、hakoさんは「最高!」って、いつも大喜びだった。

hakoさんの好物のうな重も何度か食べに行った。
お店には車椅子に適した席が一つしかないので、いつも予約して出かけた。
その席からは行き交う車の風景が見えて、hakoさん、お気に入りの席だった。
多すぎるんじゃないかしらって、ハラハラ見守っているのに、いつもペロリとたいらげて大満足だった。

大きなスーパーに買い物に行ったこともあった。
イッパイ並んだ食べ物を見て回るのがとても楽しかったみたい。
お寿司とか、お団子とかhakoさんの選んだものを買ってきて、お茶にした。
「美味しい!」と、自分の選んだものにいつもご満悦だった。

食べる話ばっかりね・・・(笑)
そうそう、皮膚科に行ったこともありましたよ。
デイやショートに送っていったり、迎えに行ったりしたこともね。

そんな思い出イッパイの車を買い替えた。


福祉車両専門のディーラーに頼むと高く売れますよと教えてくださる人がいて、
オットさんがネットでコンタクトを取った。
そしたら、下取り価格の2倍で引き取ってもらうことが出来た。

引き取りに来たディーラーの方は、今、このタイプの福祉車両を探していらっしゃる方が多くて人気なんですよと言われた。

淋しくて、車が見えなくなるまでオットさんと二人で見送った。



2008年 09月 09日 | |
hakoさんはご挨拶にうるさかったので、生前お世話になった方々に、ご挨拶に伺った。

まず、7年間お世話になったKデイサービス。

車椅子対応の車がなくて、車の乗り降りに苦労してくださったスタッフの方たち。
車椅子対応の送迎車を入れていただきたいと何度もお願いした。

何度お願いしてもナシのつぶてだったけど、利用者さんの声が一番の力だから、その声を伝えて再度交渉してみますといって頑張って、遂に車の購入にこぎつけてくださったTさん。
そのTさんが待っていてくださった。
hakoさんは数回しか利用しか出来なかったけど、その車は今、大活躍。
時々、送迎途中の車に行き会うと、 顔見知りのスタッフの方たちが車から挨拶してくださる。
hakoさんのブラウスをお持ちして、利用者の方の着替えに使っていただくようにお渡ししたら、とても喜んでくださった。

Sデイサービスでは、hakoさんの送迎をして下さったヘルパーさんが「hakoさんの笑顔が忘れられません」と言われて、お持ちしたブラウスなどを、「hakoさんを思い出しますね~」と懐かしそうに受け取って下さった。


ショートでお世話になったHホームのヘルパーさんは、「帰宅される人を見ると、ご自分もお帰りになりたくて、いつまでもお玄関から中に入ろうとされなかったんですよ」と言われた。
そんな話は、切ない!

でも、デイやショートを利用することで、どんなに助けてもらったことか。

「有り難うございました」って、心からお礼を申し上げた。



一人ひとりのヘルパーさんにはお目にかかれなかったけど、みなさんに心から感謝です。
今では、すっかり仕事に慣れて下さって、私は安心してお任せしていた。
hakoさんはそれぞれのヘルパーさん達といろんな話をするのをとっても楽しんでいた。
みなさんからいろんな話を聞いたり、自分のことを話したり、お世話をしてもらいながら、私よりずっと深く、ヘルパーさん達と接していたように思う。

週2回、夜来て下さっていた家政婦さんは優しくてお世話が行き届いていて、
「今晩は!」って見えると、「来てくれたのね」って、とてもうれしそうにニッコリされた。

長い間には、いろいろあって辞めてもらった方もあったけど、最後までお世話して下さった方達は、hakoさんと人間的に接して下さっていたことに心から感謝です。


みなさん、長い間、本当にお世話になりました。
みなさんのお蔭で、どうにかこうにか、hakoさんを家で過ごさせてやることが出来ました。



お世話になった病院にはオットさんが挨拶してくれた。
hakoさんは自宅に居る時はメディマットを介護保険でレンタルしていたが、入院した時に返却した。
しばらく病院のマットを使っていたけど、じゅくそうが心配になってきたときに、メディマットを自費で購入して病院で使うことにした。
病院のお世話がよかったので、最後までこのメディマットでジュクソウの心配をしないで過ごすことができた。

メディマットは病院に寄付させてもらった。



いつも賑やかな笑い声で、hakoさんだけでなく私たちまで楽しく元気にしてくれた入浴サービスのグループ。そして同じ事務所のケアマネージャーさん。困ったことがあるとさっと駆けつけて下さって、テキパキと連絡を取って下さった。

いつも穏やかに励ましながら面倒を見てくださったリハビり士さんとマッサージさん。

ヘアカットに来てくださっていた美容師さん。

途中でいろんな事情で交代されたかたを入れたら、もっともっと大勢。

本当に大勢の方々に支えてもらった。
お世話になった皆様に感謝です。
何度お礼を申しあげても、言い尽くせません。
本当に有り難うございました。

お夕飯をあげた時に、「hakoさん、ご挨拶を済ませましたよ」って報告した。
hakoさんはいつもと同じ笑顔でにこにこしていた。


2008年 09月 04日 | |
hakoさんは○○厚生年金と△△共済の遺族年金を受けていた。
この受給権がなくなったので、受給権消滅の届け出をした。
△△の方は、全て郵送で手続きが済んだ。
○○の方は、例の社保庁。やたらといろんな戸籍関係の書類が必要だった。
その上、直系の親族でないと手続きがややこしいので、オットさんが届けに行った。
そんなこんなはあったけど、無事に年金消滅の手続きが済んだ。


2008年 09月 03日 | |
市役所の国民健康保険課高齢者医療担当から連絡が届いた。

高額医療費から287円支給されるので申請して下さい。
  ご本人さんは死亡されていますので、ご家族の方が申請してください。
  申請の時に次のものが必用です
  
  1.ご本人と申請者との関係を示す戸籍謄本、除籍謄本
  
  1.健康保険証

  1.後期高齢者医療被保険者証と老人保健法医療受給者証


受け取る本人が死亡していて家族が受け取り人になるので、両者の関係を示す戸籍謄本などが必要なのだそうだ。
そうは言っても、支給額は300円未満なのに戸籍関係の書類を取るのはもっとかかる。
「どうしたもんでしょうね」って尋ねたら、「小額の方は辞退する人が多いです」って言われた。
何となくすっきりしないけど、「我が家も辞退します」って言った。

支給費は辞退して、国民健康保険証、老人医療受給者証、後期高齢者被保険者証をお返しした。



次に介護保険課に行って介護保険証を返した。
この制度が発足した頃に我が家の介護も始まった。
今はすっかり制度が定着してきたけど、始めの頃はお役所も私達も不慣れだった。
でも新しい制度に向かってエネルギーが溢れていて、私の相談を熱心に聞いて対処して下さったことを思い出すと懐かしい。
何度も何度も通った介護保険課。
そしてどっぷりお世話になった介護保険。
もうしばらくこの窓口に来ることはないな~って思って、「長い間お世話になりました」って、深々と頭を下げてご挨拶した。
係りの方も「長い間ご苦労様でしたね」って、声を返してくださった。



それから、「身体障害者手帳」を返した。
一級障害者だったhakoさんは医療費の助成を受けていた。
医療費の助成については、今年の3月までは毎月市役所から助成金額の通知があって、自動的に振り込まれていたのだけれど、4月からは各自で領収書をそろえて申請しないと、助成費が支給されなくなったとの事。

4月からのhakoさんの医療費の領収書があったらお持ちくださいと言われたので、4月から7月までの入院費の領収書を持って行った。

それにしても申請しないと支給してもらえないなんて、不親切になってしまったものだ。
老人の一人暮らしの人ではもらわない人が多くなるんだろうなって、気になる。

この手帳には他にもいろいろお世話になった。
自動車の免税。
高速道路の割引など・・



いつ何があってもサッと持って行ける様に一まとめにして入れておいた袋から、次々とそれらの書類を取り出してお返ししたら、袋がぺちゃんこになった。

中に入っていたいろんな証書は、hakoさんが社会に支えてもらっていた証し。

そして、それはhakoさんが生きていた証し。

hakoさんがこの世に存在した証し。

ぺちゃんこになった袋は抜け殻みたいだ。

一つずつ整理をしながら、別れの準備をしている。

四十九日は昨日だったけど、いろんな都合で法要は今月の半ばにすることになった。
「家」が大好きだったhakoさんは、遅くなっても大丈夫よってにこにこ笑ってる。




2008年 08月 10日 | |
忌明けの準備をしながら、hakoさんのことを思い出している。



hakoさんは2001年1月に脳梗塞を発症して、左側完全麻痺で要介護5に認定された。
家の中では、ベットと車椅子の生活。
右手、右足は自由に動かせたので、食事をしたり手紙を書いたりすることは出来たし、話すことにも障害はなかった。
病理解剖で書いたように脳梗塞でダメージを受けた部分の記憶は戻らなかったので、認知障害が出て大変な時も多々あったけど、残された脳は萎縮が少なくていい脳だったので、いい脳の時は、いろんな会話を楽しむことが出来て、このことは本当に幸せだったと思う。


大変だったのは、日常生活のほとんど全ての動作に介助が必要だったこと。
ベットから起き上がる時、寝る時、着替える時、車椅子に移る時、そしてトイレ。
全ての動作に介助が必要だった。
体力のない私にはこれが大変で、何回もダウンした。
介護をしている人がたいていやられるように、私も腰を痛めて入院した時もあった。 
「もうダメ」って何度もオットさんに悲鳴をあげた。



この頃は自分の大変なことばかり考えていたけど、今は、一番大変だったのはhakoさんだったんだろうなって思う。
半身不随で生きることは、どんなに不便なことだったろう。
人に頼って生きることは、つらい事がいっぱいあったことだろう。
用を頼んだ時に、「ちょっと待ってね」って言われて、イライラしたこともあったんだろうな。

でも、そのことについて、hakoさんは苦情を言ったり、嘆いたりすることはなかった。
ありのままの自分を素直に受け入れて生きていた。
与えられた自分の人生を、すなおに生きているhakoさんを、私は「すごい!」と思った。



デイに行っても、ショートに行っても・・
「家が一番いいね~。家に帰りたい!」って言うのが口癖だった。
会いに行くと、いつも「家に帰りたい。私を連れて帰ってちょうだい」と言った。
そんな時は、胸がチクチクと痛んだ。
その時の事を思い出すと、今でも、胸がチクチクする。

帰ってくると、玄関で「ただ今!」って大きな声で叫んで、さっさと家の中に入ってしまった。
そして、二人でお茶をしていると・・
「やっと帰ってきた。なんと言っても家が最高!」と言うのだった。




最後の入院で、まだ意識がハッキリしていた頃・・・
「又来るからね」と挨拶すると、「まだ、帰っちゃダメ」って言った。

意識が衰えてきてからは、「帰りますよ」と言うと、首を左右に振った。

しかし、最後の入院では「家に帰りたい」と言わなくなった。
「又来るからね」と言うと、きまって、「今度来る時は、私はもうここにいないかもしれないから、確かめてから来てね」って言った。
その時は、「家に帰りたい」って言われなくて気が楽だと思ったけど、今、思うと、hakoさんは自分の死期を感じ取っていたんじゃないかという気がする。



胸の大動脈瘤が大きくなって、食道を圧迫し、6月頃から食べ物を飲み込めなくなった。
最後はその大動脈瘤が破裂して、突然に逝ってしまった。
普段から「滑り台を滑るようにす~っとあの世に行きたい」と言っていたけど、
望みどうりに、す~っと滑るように、逝ってしまった。

尿の出が悪くなってきたので、主人が夜泊まるかなって言った矢先のことだった。
手術後の主人に迷惑をかけないようにと思ったのかな~。
hakoさんは自分の生きる力を精一杯生きて、さっと逝ってしった。
「もう充分生きた」と言って、さっと逝ってしまった。



庭を見ていると、hakoさんと一緒にチューリップの花を見たことを思い出す。
春先に咲く三色スミレとチューリップの花が大好きだったhakoさん。
毎年秋になると苗と球根を植えた。
私が植えている間、hakoさんは私の作業をうれしそうに見ていた。
昨年の暮れも同じようにして植えたのに・・・
hakoさんは今年のチューリップの花を見ることが出来なかった。
100本のチューリップの花は例年のようにきれいに咲いたけど・・・、
私1人で見る満開のチューリップはつまんなかった。



hakoさんには、いつも優しい笑顔があった。
遺影にはいつも見慣れた優しいhakoさんの笑顔を飾った。
遺影の前に座ると、いつものようにhakoさんが笑ってみている。
「今日はご飯が遅くなってごめんね」
「今日はご馳走がなくてね~」
なんて話しかける。

hakoさんは「takoさん、おなかがへった」とか、
「暑いのに忙しくて大変だね。ゆっくりでいいよ」とか、
「私はご馳走なんかいらないよ。あるものでいいからね」
なんて、笑って返事をしてくれる。



介護を通して、姑と嫁じゃなくて、1人の人間としてhakoさんの人柄に触れたことが、有難い。
脳梗塞でhakoさんが倒れてお世話をするようになってから、私は、hakoさんの素晴らしさを知った。
hakoさんと一緒に過ごした日々の思い出は、私の心の宝物。


hakoさん、思い出をいっぱい有り難う!


# by tako0 | 2008-08-10 09:40 | 08近況 |
2008年 07月 26日 | |

21日にhakoさんのお見送りをすませて、
22日に息子一家に新しい家族が誕生!
3人目の孫です。


今日、主人と二人で、新幹線に乗って、会いに行って来ました。
ニューファミリーは女の子。
私達がいる間、すやすやと寝ていて、一度も眼を覚まさなかった。
抱っこしたら、居心地悪そうにちょっと顔をしかめたけど、泣かなかった。
2900g。 とてもいい子です。


しみじみと、命の引継ぎに感動 !




それにしても暑かった・・37.8度!


Tags:# 
# by tako0 | 2008-07-26 21:23 | 08近況 |
2008年 07月 21日 | |

大勢の方にお悔やみの言葉を頂戴して有難うございました。
無事に、hakoさんのお見送りを済ませることが出来ました。

お返事は遅くなって申し訳ございませんが、まだ慌しい毎日ですので、
もう少し落ち着いてから書かせていただきます。


hakoさんは病理解剖をしていただきました。
直接の死因は胸の大動脈瘤破裂からの出血にでした。

この大動脈瘤は直径6cmにもなっていて、食道を圧迫していました。
食事が食べられなくなったのは、それが原因でした。

最後の頃に吐き気があったのは、大動脈瘤が何回か裂けたストレスで、
麻痺性腸閉塞が起こったためとのことです。

大動脈瘤は腹部など他にも複数あり、全身の動脈硬化も高度でした。
hakoさんの死は以前から懸念していた数ヶ月にわたる大動脈瘤拡大と破裂、出血によるものでした。



しかし、脳は脳梗塞のダメージを受けた部分を除けば、萎縮が少なく、立派な脳だったとのことです。

hakoさんは脳梗塞が起こった部分の記憶は回復しませんでしたが、それ以外のことでは
理解力も記憶力もしっかりしていて、不思議な二つの世界があったことが納得できました。

残された立派な脳のおかげで、楽しい会話の時間がもてたことを幸せに思います。



hakoさんの思い出に、久しぶりにエピソードの小部屋を開きました。
お時間のあるときに読んでいただければうれしいです。



Tags:# 
# by tako0 | 2008-07-21 20:10 | 08近況 |
< 前のページ ページトップ 次のページ >
XML | ATOM

skin by tako0
The Original Skin by Sun&Moon